邦銀に入行して6年目の冬に、私は米国の金融機関(東京支社)に転職しました。
日本の企業とはあらゆる点で違いのある環境に当初は「おどおど」していたことを今でも覚えています。邦銀では肌身離さず持っていたハンコは不要となり、詳細に記述していた出張報告書は口頭での報告となるなど、それまでの常識の通用しない世界に動揺していたのです。
転職後半年ほどが経ち、ようやく営業の仕事も軌道に乗り始め、会社のあるべき姿に意識を向けられる余裕のできてきた頃、私は当時の上司に思い切って業務の改善要求をしました。かなり強面の人で、業績についての会議の際は、その上司に詰められて泣き出す人も出るほどでした。百戦錬磨のイメージのある外資金融の人が人前で泣くなんて!そんな上司に改善要求なんて、我ながら若気の至りでした。
当時、その会社には調査部があり、エコノミストがいました。金融マーケットにおいて営業職にいる私たちにとっては、他社と差別化を図る上で、エコノミストの存在は大きなものでした。ところが、そこは米国の金融機関。主な顧客が国内の金融機関や事業法人であるにもかかわらず、その会社のエコノミストは日本語を話せない米国人でした。念のために付け加えますと、米国人でももちろんいいのです。ただ、日本語を話せないとなると、当時の状況ではお客様も英語を話せる人だけが対応することとなり、私たち営業にとって重要なキーパーソンに会うことも、会社としての経済やマーケットの見方を十分に提示することもできない状況だったのです。
そこで、私は先程の強面の上司に思い切って、改善要求をしたのです。
私「日本語を話せないエコノミストでは商売になりませんよ。日本人のエコノミストを雇ってください」
上司「あっ、そう。日本語を話せないとダメなのか」
私「そうです。当たり前ですよ」
上司「そうか、分かった。日本語を話せるエコノミストを雇うか。で、誰がいいの?お前がいいと思うエコノミストを雇うよ」
私「...」
上司「あれっ、それを考えてないの?」
私「...」
私はその時、実はもうひとつの問題点をその上司に指摘し、改善要求をしていたのです。
その会社の事務部門にはミスが多く、お客様にも多大な迷惑をかけ、そのことが原因でしばらく出入り禁止(取引停止)になることもありました。
私「事務部門があんなにミスばかりするので、営業はお客様に叱られ、出入り禁止になることもあります。何とかしてくださいよ」
上司「そうか、そんなにミスが多いのか。困ったものだな」
私「そうなんですよ。ほんとうに困ったものです、事務部門は」
上司「分かった。それで、何が原因でそんなにミスが多発しているの?どうすれば改善できるのだろう?」
私「...」
上司「えっ、それも考えてなかったの?」
私「...」
上司「明日からお前を事務部門の責任者にするから、改善してみてよ」
いまから思えば、恥ずかしい話ですよね。
そうです。私は、その時の不満を上司にぶちまけていただけで、何が原因で、どうすれば良い方向に進むのかなど、改善策にはまったく意識が向いていませんでした。上司の何気ない問いかけによって、私はそのことに気づかされ、顔が真っ赤になってしまいました。
この恥ずかしい経験によって、私は仕事とは与えられたことをこなすだけではなく、より良い方向に会社を進めるために、どのように取り組むべきかを考え、行動に移すことと認識することができました。つまり、たとえ若くても、一介の営業職であっても、仕事に取り組むに当たり、目の前の課題に対して、全体を俯瞰する目を持ち、経営者やマネジャーであればどうするのか、という視点を持つことの重要性に気付かされたのです。つまり、視座を上げるということですね。
これ以降、私は不満や問題があると、どこに原因があるのか、どうすれば改善できるか、という発想を持てるようになり、仕事が面白くて仕方なくなり、いつの間にか不満は消えていました。それまで不満に思っていたことが、改善の対象になったのですから。
あの時、上司は意識して私にコーチングをしてはいなかったと思います。ごく自然に思ったことを問いかけただけなのでしょう。しかし、その問いかけが、新しい気づきをもたらし、私の仕事への取り組み方を大きく変えた貴重なコーチングとなりました。
コーチングを学び始めて、私自身、あれがコーチングだったのだと気づいたのです。
ちなみに、自然に相手に気づきを与えるような人のことを「ネイティブ・コーチ」と呼ぶそうです。当時の上司はまさにネイティブ・コーチでした。
私たちCoach Nexus Japanも、ひとりでも多くのビジネスパーソンが新たな気づきを得て、視座を上げ、やりがいを持って仕事に取り組めるよう、お手伝いをしていきたいと考えています。
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